仕事観
念の為に書いておくと、前職や現職などへの具体的な感想などではなく、より上位の抽象的な労働が自分の人生観においてどうだという話です。
課題解決ゲーム
自分はソフトウェアエンジニアの仕事は問題を解決することだと思っている。 問題を解決するには問題を理解する必要があり、理解した時点でほとんど解けているということは往々にしてある。 自分がソフトウェアエンジニアを仕事に選んだのはそこに面白さを見つけたからで、 この面白さは何かを新しく理解したときの快感が大部分を占めており、問題が(客観的・主観的のどちらでも)難しいほど、それを解決したときのカタルシスがある。 したがって、問題の難易度設定が重要であり、簡単すぎても難しすぎてもよくない。自分に対してちょうど良い難易度の問題が沢山転がっているドメインを見つけられると良い、ということになる。
楽しいと思えることが仕事になるのは良い話だと思うが、一方で6年くらいやって既に飽きてしまっている部分がかなりある。 目の前の仕事すべてが自明になっており問題が一瞬で解決するわけではないが、なんというか違う名前のソウルライクゲームをずっとやっているような感覚がある。 もう少し広い視野を持ったり、他人に興味を持ってピープルマネジメントしたりなど、なんかそういうことをやっていかないとダメなんだろうなという気がしている(やりたくない)。 あるいは課題解決ゲームをやめて賃金最大化ゲームに乗り換えるという道もあるかもしれないが、これもあまりやる気がでない。
責任集合
労働に関する別の話として、責任集合の話がある。自分は仕事というものは責任によって定義されると思っている。 例えば、自分一人だけの会社があるとする。会社に対して発生する責任の集合があり、その全てを自分で負う必要がある。 一人でやるには多すぎるので、人を雇い、責任の部分集合を割り当てる。 この責任の部分集合のことを役職などと呼ぶはずで、賃金は割り当てられた責任の集合およびそれがどう果たせたかによって評価・決定される。 責任集合の分担においては重要なことは、各部分集合のスコープが明らかになっていることと、それらの部分集合によって全ての責任の集合が被覆されていることである。
というようなことを去年くらいからずっと考えていて、 組織の問題を見かけると、責任集合のスコープを明らかにして被覆の漏れがないかチェックすれば良いのでは?と思ってしまうところがある。
しかし自分の中での仕事というものは責任に対して報酬が支払われるだけという感じなので、責任のスコープを宣言したり上に承認してもらってそれを果たすだけであり、そういう意味ではすごく作業っぽいような感覚がある。
— shivaduke (@shiva_duke28) 2025年7月1日
しかし、実際には関わる人間が多ければ多いほど問題は複雑になっていて(人間が複雑なので)、そんなに自明な話ではないんだろうなと思う。